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藤森先生の視点・論点

これからの保育の動きについて、藤森延長の視点と論点です。
世界の教育 保育改革

日本では、今、教育界は、揺れ動いています。この変化は、世界的には、1970年頃からおきている動きです。特に、欧米の先進国といわれている国で改革が行われてきました。その背景には、大きく二つ理由がある気がします。

1.先進国での少子化

少子社会になると、子ども同士の関係が変わってきます。自然発生的には、子ども集団は生まれません。したがって、子ども集団を基盤とするさまざまな子どもの力は育ちにくくなっています。

また、大人と子どもの関係も変わってきます。一人ひとりに手がかけられなかったのが、一人ひとりに手がかけられるようになり、子どもにとって必要のないところまで手を出すようになってきます。そして、過干渉になってきます。大人が子どもの行動を抑制、指示するという状況は、子どもから自発性を奪い、創造力・思考力・判断力の欠落を招いてしまいます。また、子どもたちの「自分からやる意欲」つまり主体性が育ちません。大人の子どもへの過干渉は、依存症の若者を作り、自立していかない若者を作っています。

2.将来、子どもに必要とされる力の変化

もうひとつの最近の大きな変化に、子どもに求められる力が変わってきたことがあります。かつて、物を覚えることが学習の優先課題であり、どれだけものを覚えているかがその子の頭のよしあしを測る基準であり、覚えていることを試すのが試験でした。しかし、機械が発達し、コンピュータが出現してからは、ただ多くの知識を覚えることだけは意味がなくなってきました。

日本の教育 保育改革

そんなことで、教育は変わらざるをえなくなってきているのです。しかし、そんな世界の教育の改革の中で、なかなか日本の教育は変わろうとしませんでした。また、新しい教育として打ち出した「ゆとりの学習」と「総合的学習」は、見直さざるを得なくなっています。

しかし、最近、子どもに影響が出始め、変えざるをえなくなってきています。さまざまな子どもの事件や、「ニート」といわれるような現象が起きてきているからです。このような現象を、子どもが悪い、親が悪いと決め付けても、何の解決にもなりません。

そんな責任を擦り付け合っているうちに、日本の教育は、世界ではかなり遅れてきてしまっています。東京大学大学院教授の佐藤学氏は、「教室の「静かな革命」は世界を席巻しつつある。その変化を、この二十年間、世界各国の学校で目の当たりにしてきた私は、もはや「一斉授業」の様式に固執しているのは地球上の一角である東アジアの国々(中国、北朝鮮、韓国、日本、台湾、香港、シンガポール)だけであることに気づいてきたし、いくつもの論文や本でそう指摘してきた。」と言っています。

しかも、その中では、日本がリードして改革するであろうとの予想を裏切って、シンガポール、韓国、中国では改革が始まっています。いよいよ、残されてくる国は、日本と北朝鮮だけになるかもしれません。

そんな学校のスタイルを絶対的なモデルとして、幼児教育が行われています。一斉という考え方、年齢別という考え方、廊下があって、教室が並んでいるという建物、先生が一方的に子どもに教えるという形態、これらは、実は、ほんの一部の国の、ほんのある時代で行われたものに過ぎないのです。

自立へ向けての発達

今の若者の課題は、「自立」です。これは、早く放り出せば「自立」するのではなく、丁寧な関わりから生まれてきます。子どもは、各自が主体であることの大切さを感じていき、自分の好奇心や欲求が満たされるなど、充分「受容」されることによって、次第にやりたいことを「自己主張」し始め、それを他人に伝えようとします。

それをきちんと受け止め、子どもにきちんと返すことにより、次第に他の人と共に生きることを喜びと感じ、「自律」という自分を制御する力が生まれてきます。そして次に、他人の痛みを知ることによって、他人の喜ぶことをしようと他人の手助けをする「他者支援力」という力が生まれてきます。その様な発達をきちんと保障するような保育が必要になってきています。

新しい保育

そのように、ある知識を子どもに覚えこませることから、きちんとした発達を保障しようとしたとき、新しい教育の創造・これから目指す保育のキーワードは、一斉、画一的保育、教育からの脱却です。知識を伝達する上で、より効果的な集団、統制のとりやすい集団に、保育士が主導的に引っ張っていくというような保育から変わらなければなりません。

そして、今後は、子どもの主体的な活動を促す環境、子どもの自発的な活動としての遊びを保障する環境、子ども一人一人の特性に応じた環境をどのように創造していくのか、人とのかかわりをどのように作っていくのか、子ども集団の中で行われる「協同的な学び」をどのように意図していくかが、保育の目標になります。

1.主体的な活動(生活の場)

主体的な活動をする子とは、自ら課題を見つけ、自ら考え行動する子(やらされる、やってもらう活動から、自分でやる活動)のことです。そのために、自ら環境に働きかけることをしなければなりません。

もちろん、この環境とは、空間だけのことを言うのではなく、人的(保育士(チーム)、異年齢、地域)、物的(特定の活動を規定する遊具から、自分で工夫する遊具)、空間(自然などの屋外空間、コーナーなどの室内空間)があります。

それらの環境の中で、子どもたちは、無理のない選択と自己決定、発達過程の確実な習得をする保育に変えるためには、個人の発達や人格の発達を犠牲にして作られている、年齢の刷り込みによるカリキュラムでの保育を見直さないといけないでしょう。そして、園では、個と集団を保障(個と集団の両立から、相互作用)する場を作っていかなければなりません。

2.自発的な活動(学習の場)

保育室を、あそびのミュージアムとし、子どもの自発的な活動、子どもが主体的にかかわる環境を用意します。そして、子どもは、受身型から参加型へ変わり、「教える保育」から「子ども自ら活動する保育」への発想の転換をします。保育者も、どちらかと言うと、ティーチャーではなく、ファシリテーターになります。教えるのではなく、引き出し役とか、進行役になるのです。

やってあげる保育から、それぞれの子どもの違いを認め、それに寄り添い、見守る保育です。そして、子ども集団を、ねらいに応じた集団、子どもにとって、生き生きと活動できる集団、子どもにとって、発達が保障される集団を考え、クラス集団と保育活動集団を柔軟的に考えます。

3.一人ひとりの特性

与える教育。保育から、一人ひとりが自ら活動する保育に変えるとき、当然。何を与えるかという課題から、何をそれぞれが受け取れるかという課題にかわります。したがって、当然、「平等」という考え方もかわってきます。みな等しく同じものを与えることから、みな等しく同じものを受け取れるということになります。この考え方に「インクルージョン」という考え方が必要になってきます。「インテグレーション」から一歩進めた考え方です。

4.人とかかわる力

集団の考え方もかわります。産業主義社会のころの大工場システムでの効率化ということで行われた集団に対して「一斉」ということから、個々の違いを認め合い、ともに生きる社会「共異体」のなかで、「協同的学び」を意図していきます。

子ども園・幼稚園での育ち

今の子どもの育ちにおける課題をこのように眺めてみると、子ども園、幼稚園は、子ども集団があり、子ども集団を基盤として、人とかかわる力をつけていき、自立をしていく基礎を培う場になってきているのです。その実践が、国民の合意を得、国がその効果を認めたとき、その存在が、親や子どもにとって必要な施設から、真に国民にとって必要な施設になっていくのです。ぜひ、時代をきちんと見つめ、時代に先行し、今を生きる子どものために、今の時代に必要な保育に変えていくことが求められています。

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