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子育て用語辞典

専門用語って難しい?子育てに関する用語をまとめてみました。
金田一 我天 プロフィール

小学校の元教師でこども園園長暦は20年。出版社で絵本の編集にも長く携わってきた。 現在、園長を続ける傍ら保母さんや保父さんになる学生たちの専門学校で保育原理を、看護学校で教育学の教鞭をとっている。

「 愛着(アタッチメント)」

生れながらに持っている、母子間の情緒的な結び付きを言う。乳児の行動に対する母親の働きかけなどの母子間相互作用により、しっかりと形成され、これが乳幼児期では最も重要である。これが十分でないと、乳児は心身共に不健康な状態に陥る。

最近、保護者のなかに、仕事への愛着が捨て切れないで、ついつい子供を後回しにしてしまうことが多く見られる。

「 アトピー 」

「不思議な病気」という意味で、遺伝性過敏症のことを言う。この一種に、アトピー性皮膚炎という湿疹があり、治療法には適切なものがない。学令期までに80%が治るといわれているが、子供の皮膚炎のなかで最も患者数が多い。

最近、アトピー体質の食事療法が注目され、こども園にそのような子がいて、食事制限を個別食で対応しているということが、他園との話のなかで1つのステイタスになっていることが多い。

「 遊び 」

保育所保育指針、幼稚園教育要領などのなかの「遊び」とは、興味・関心をもってする自発的な活動のことを言う。この「遊び」は子供にとって生活そのものである。

大人にとって良くない「遊び」はよく身を滅ぼすが、子供にとっても、興味も関心もないことを、無理やりやらせる「遊び」は、身を滅ぼすことがある。

「 アンファン・テリブル 」

ジャン・コクトーの小説の題名「恐るべき子供達」(アンファン・テリブル)のこと。転じて、早熟で、大人の意表をつく行動をとり、大人たちからみて、脅威を感じる子供達のことを指す。

若い女性のなかには、「エレファント・マン」と勘違いして、恐れることが多いが、アンファン・テリブルも、エレファント・マンも、決して自分のせいでそうなったわけではない。

「 育児サービス 」

厚生省では、「保育問題検討会」設置し、保育所を児童福祉法に設定されている児童福祉施設から切り離し、保育サービスの向上を目的とした「保育サービス法」(仮称)の制定も考えている。平成5年1月22日の「官庁速報」でこのような報告があった。これ以降、マスコミなどで盛んに使われるようになった言葉。

福祉をサービスと言うと抵抗のある人がまだいるけど、特に保育は教育に近い部分があると言いわけをして、今までは、ややサービス精神に欠けていたのかもしれない。

「 育児用品規格 」

わが国では、育児用品に対し種々の規格を決め、その安全性をはかっている。JISマークは、日本工業標準審査会によって審議され、乳首、おむつカバー、衣類などについているもの。Sマークは、通産省で「特定商品」として基準に合格したもので、ベビーフードなどについている。SGマークは、製品安全協会の検定に合格したもので、乳母車、三輪車、歩行器、ブランコ、2段ベットなどについている。その他のがん具には、STマーク、Qマークがある。

職員のレクリエーションで、保育室からアルファベット探し競争でもしてみたらおもしろいかも。

「 一時保育 」

平成2年6月厚生省家庭局通知で出された保育事業。非定型保育サービス事業(保護者の就労形態などにより、家庭における保育が断続的に困難となる児童に対する)と緊急保育サービス事業(保護者の傷病、入院などにより、緊急一時的に保育を必要とする児童に対する)をあわせて実施するようにしたもの。

思春期を過ぎてかかると、不妊症を起こすことは、理由を知っている人は少ないが、その事実だけは誰でも知っている病気。

「 犬食い 」

食器を机のうえに置いたまま、食器に口をつけて、犬のように食べる様を言う。食事のマナーの悪さを代表して言うことがある。

親は、食器の悪さから、学校、園のせいだと言い、学校、園は、親の子供に対するしつけの悪さだというように、双方で責任を擦りつけあうことを言う。

「 異年齢保育 」

地域での異年齢集団で遊ぶ機会が少なくなった子供達のために、幼稚園や保育所のなかで、意図的に、縦割り保育のように異年齢集団を作って保育することを言う。

子供には、みんなと仲良くするように言っていながら、保育者の異年齢集団では、とかく冷たい戦争が起きる。

「 一斉保育 」

保育者が子供に経験させたいと計画している活動を、同一時間内に、同一場所で、同一内容を、同一方法で幼児に経験させる保育の方法を言う。

要するに、少ない人数で、力づくで、より多くの子供を保育するときに有効な、保育形態である。

「 うつぶせ寝 」

日本では、乳児をあおむけに寝かせることが多いが、欧米では、うつぶせに寝かせることが一般的である。うつぶせにすると、首の座りや寝返り、はいはいなど運動機能が多少早く発達するといわれている。しかし、窒息には十分注意する必要があり、最近では、突然死に関係があるのではないかといわれている。

昔、パパ、ママと呼ばせることがモダンであったように、少し前まで、うつぶせ寝がモダンであったことが、一挙に普及する原因になった。

「 英才教育 」

その子の持っている優れた才知、能力をさらに発達させる目的で、そのための刺激や訓練、学習等をさせる特別な教育をいう。

少し前まで、塾のコマーシャルコピーであったが、最近は、こども園、幼稚園のコマーシャルコピーとしての活用が多い。

「 エンジェル係数 」

総支出に占める乳幼児にかける支出の割合をエンジェル係数と呼ぶ。生活の程度を表すエンゲル係数(総支出にしめる飲食費の割合)からもじって、最近子ども、特に乳幼児に対してお金をかける傾向が強くなったことから生まれた言葉。

あまりお金がかかる子どもは、お店から見たらエンジェルだけど、親から見ると、サタンに見えることがあるかも。

「 延長保育 」

通常の保育時間は、午前8時30分から午後5時迄。厚生省では、午前7時から8時30分迄と、午後5時から8時頃までの保育をいう。東京都では、午前7時30分から8時30分迄と午後5時から6時までを「特例保育」、午前7時から7時30分迄と午後6時から7時までを「延長保育」、午後7時から10時までを夜間保育としている。

どんどん、親の都合で保育時間が延長されていくことを、「延長保育」ということがある。

「 お集まり 」

自由保育から一斉保育に移行するときや、出欠席などを確認するために子供を集合させること。

保育用語の特長である「お」を付ける言葉の代表である。「お迎え」「おかたつけ」「お帰り」等など。

「 お母さん座り 」

子供に分かりやすく、正座のことを「お母さん座り」や「お客さん座り」と呼び、あぐらを「お父さん座り」と呼ぶ。

子供に分かりやすいようにが、最近よけい分かりにくくしている。正座をするお母さんなんか、いなくなっているから。

「 おたふく風邪 」

流行性耳下腺炎のこと。耳の下にあるリンパ腺が腫れるため、おたふくのような面相になることからこう呼ばれている。潜伏期2~3週間、発病前7日~発病後10日頃まで感染力がある。

思春期を過ぎてかかると、不妊症を起こすことは、理由を知っている人は少ないが、その事実だけは誰でも知っている病気。

「 外気浴 」

外の空気を浴び、風に当て、冷たい空気に当てて皮膚や呼吸器粘膜を鍛錬し、血管運動神経の作用を敏活にし、風邪などを引きにくくするような健康管理のための1方法。

最近、光化学スモックやら花粉症やらのために、窓は開けるな、ふとんは天日に干すなと言われて、「外気浴」が「外気悪」に変わりつつある。

「 カウンセリング 」

適応上の問題をもち、援助を必要としている人(クライエント)と専門家(カウンセラー)とで構成される相談活動を指す。この専門性を特色付けている重要な点の1つに「構造」「制限」がある。

構造、制限とは例えば、カウンセリングを行なうに際して一定の場所、時間、料金を設定し、そこに治療的意義を含んだりすることらしい。ということは、新宿という一定の場所で、毎晩、一定料金でカウンセリングを行なっている「新宿の母」はカウンセラーの原点かも。

「 鏡文字 」

子供の書いた文字が、鏡に写したように逆になることを言う。この現象は小学校1年生頃まで多く、2年生になるときわめて少なくなるが、稀に4、5年生まで続く例もある。原因はまだよく分かってはいない。

子供の前に座って文字を教えるとき、左利きの保母の方が良いというのは本当かな?

「 学童保育所 」

小学校の低学年の児童を対象に、週日の放課後ないし休校日(夏休みなど)に家庭に代わって生活、学習、遊びなどの指導、助言を行なう所。あたかも学童に対する保育所のようであるので学童保育所といわれるが、これに関する国の統一した法律や基準がない。

放課後児童を学校でみたり、保育所でみたり、幼稚園でみたり、児童館でみたり、それぞれが、その制度を押し付けあっているのか、奪いあっているのか。

「 家庭保育 」

生れ育った家庭で、両親やその他の家族によって育てられること。対:施設(集団)保育。別に家庭福祉員による保育を指す場合もある。

本来望ましい形態であるはずの家庭保育を、施設保育が補完すべきものであるのに、最近は、施設保育を家庭保育が補っており、次第に全てを施設保育に任せつつある。

「 カリキュラム 」

保育の目的や目標を達成するための内容を子供の心身の発達に応じ、組織的に計画したもので、子供の活動の筋道を立ててやるものである。

カリキュラムという言葉は、語源的にはラテン語のクレレ(走る)から来たもので、競争路を意味する語であるといわれている。どおりで、他園との競争のためのカリキュラムを編成しがちになるわけである。

「 川崎病 」

川崎富作小児科医が発表した病気で、小児急性熱性皮膚粘膜リンパ節症候群。1才前後に多く発病し大多数は4才以下である。全身に様々の大きさの、固さも色々の赤い発疹があらわれ唇は乾いて、ひびわれがする。両方の目が粘膜の充血で赤くなる。特に日本人に多いこと、稀に、冠状動脈にできる動脈瘤が原因と考えられる突然死の原因になることなどの理由で注目を浴びている。

もう殆どの人が知っているのに、いまだに、川崎市の公害病の一種だと考えている人が居ると思われている。

「 基本的生活習慣 」

生活習慣のうちで、食事、排泄、睡眠、清潔、着脱衣に関するものをこのように呼び、幼児期に正しい習慣を身に着けることが必要とされている。

これらは毎日の生活の中で、必ず繰り返される行動であるため、幼児が早い時期に身につけてくれると、毎日の育児がどれだけ楽になることか。したがって、幼児虐待の原因のベスト5でもある。

「 教材・教具 」

教材とは、教育の目標を達成するためにその教育内容に即して意図的に作成された資料を指し、教具とは、教材を効果的に指導するために開発され、利用される道具を指す。

教具を使いこなすことが目標となり、教具そのものが教材になることが多い。

「 キンダー・ガルテン 」

ドイツのフレーベルによって開設された世界最初の幼稚園の名称。先生や保母を、キンダーガートナーと呼ぶ。英語ではチルドレンズ・ガーデン。

この用語解説を読むと合点(がてん)がいくと思うが、編者の名前である「金田一我天」をよく読んでみていただきたい。「きんだーがーてん」となる。

「 月案 」

月間指導計画のことで、年間指導計画を具体的に、月ごとに区切ったもの。ねらいを的確に押えるのと同時に、子供の経験や活動をその月の持つ特性とどのように対応させるかなどが中心になる。

年案、期案と同じく、保育雑誌のなかで最も活用の多いところである。そのクラスのパーソナリティーは、どの雑誌を採用したかによる場合がある。

「 検温 」

体温を計ること。

施設では、これによって、乳幼児の健康状態を計る目安にするよりも、保護者に迎えに来てもらうための目安に使うことが多い。しかし、その基準は、年々大人の様々なおもわくによって上がってきている。(すでに、38度が平熱になりつつある)

「 食・共食 」

複数の人が集まって食べることを共食、これに対して一人で食べることを個食あるいは孤食という。個食を続けていると情緒不安定になりやすく、特に一人きりで食事をする子供の食生活が問題視されている。

共食の場合はとかく弱肉強食(きょうしょく)になりがちであり、個食の場合、意外と小食(こしょく)になりやすい。

「 コア・カリキュラム 」

アメリカで開発された教育課題のスタイルで、生活単元を教材とした学習を教育課程の中核(コア)に据え、その周辺に技能の学習や情操教科を配置するもの。

このスタイルは1930年代に開発され、やがて下火になったが、また今になって小学校で「生活科」としてよみがえってきたのかもこのスタイルは1930年代に開発され、やがて下火になったが、また今になって小学校で「生活科」としてよみがえってきたのかも。

「 午睡 」

昼寝のこと。乳幼児は睡眠がとても大事であるといわれているが、その時間にも大変個人差がある。夜以外に眠ることにより、精神的な安定を図ることができ、遊びも活発に機嫌よくできる。

初めは保母の休憩時間の確保のためもあり、専門的に午睡と呼んだ。昼寝だと何だかサボっているように聞こえるらしい。

「 混合保育 」

古くは4才児の集団の中に便宜的に3才児を入れて保育することを言い、最近兄弟数の減少から年齢の差別を取った保育への提案が続き、それを混合保育、縦割り保育という。また、障害児を健常児と共に保育することに用いられるが、これは、統合保育というのがよい。

施設への職員配置基準が、年齢ごとに切り上げにならず、一人の体を分けるわけにいかないことから、急速にこの保育形態が普及し、その後を必要性が追いかけている。

「 視診 」

体の異常は、その全身状態を観察することでおおかた察知できる。この観点からの幼児の観察を視診と呼んでいる。自分から体の異常を保育者や親などに伝えようとしない幼児にたいしてこの視診は重要で、特に登園時の視診は必ず行なう必要がある。

親はとかく自分勝手の判断(私信)で、子供の病気を決めつけてしまうことが多い。

「 4月4日生まれ 」

「年齢計算ニ関スル法律」によれば、出生日の前日をもって満1年とされる。したがって、4月1日生まれで6歳となる子どもは、法的年齢計算では、年度がかわる4月1日に満6歳に達していることになり、その年度で1番早く生まれた子どもとして就学することになる。

わかりにくいが、すなわち法律で満1歳になったお祝は誕生日の前日にするのが本当らしい。本当の満1歳は、前日ではなく当日の出生時刻だと思うが。

「 自校方式・センター方式 」

給食の方式で、おもに学校給食において使われるが、保育施設でも使われる。それぞれの施設の給食室で調理するものを自校方式、複数の施設の給食を、共同調理場で作り配送するものをセンター方式という。また、83年の行政改革の最終答申以来、学校では自校、センター方式のいかんにかかわらず、給食業務の一部、あるいは全部を民間業者に請け負ってもらう「民間委託」が増えてきた。最近こども園などにもこのような方式が見られるようになった。

自家方式がほとんどだった家庭において、センター方式(宅配)や、民間委託(出前、外食)が増えてきたのは、行革での給食の経費節減と違って、時間節減(家庭労働時間節減)からきてるらしい。

「 しつけバシ 」

箸の持ち方を子供に教えることができない親が増加していることから、正しい箸の持ち方ができるようにと、リングとフックを中ほどに付けた、業者が考え出した箸の名称。これが有効かどうかは不明。

しつけにとって大切なことは、親(保育者)の後ろ姿をみて子供が育つことであることを忘れている人をしつけてほしいなあ。

「 私的児 」

認可保育所で、公的な機関を通さず、園長との私的な契約のもとに入園している園児のことで、措置児との反対語。

かつて、私的児は園にとって「素敵児」に見えたが、子供の数の激減で、この言葉は「死語の世界」になりつつある。

「 児童福祉法・児童憲章・児童権利宣言 」

第二次大戦後、子どもたちの自由と開放を目ざして、これら3つが制定された。新憲法が制定された1946年の翌年、この憲法の精神を踏まえて制定されたのが「児童福祉法」。さらに、児童福祉に対する国民の意識を啓発するために、1951年5月「児童憲章」。また、国際連合において、1948年の世界人権宣言を踏まえ、1959年に制定されたのが「児童権利宣言」である。1979年の国際児童年は、児童権利宣言の20周年を記念して定められた。

年号を覚えるのは、中学や高校時代の歴史を思い出して、見ただけでぞっとする人もいるだろう。しかし、その背景を知っていることは、保育者としての教養である。

「 自由保育 」

子供達の自主性、創造性、個人の行動の自由を重んじ、それを保証しようとする保育。

この言葉は、しばしばひとつの保育形態として、「一斉保育」の対比語として使われたり、「設定保育」の対比語として使われたり、子供の好き勝手にさせる保育、いわば、何もしないほったらかしの保育としての悪口として使われたりと、その性格は、自由に変化する。

「 食器 」

給食用食器は長い間、安い、軽い、壊れにくいという理由から、アルマイトが使われてきた。しかし、食器が熱くなって犬食いになる、見た目が良くないという理由から、78年から82年にかけて、ポリプロピレンの容器にかわった。だが、そのポリプロピレンも酸化防止剤のBHTなどの有害物質が溶け出すということで、87年ごろからメラミン樹脂の食器が導入されるようになった。しかし、最近では、メラミン樹脂の食器は、60℃の湯や酢につけると、有害なメラミンとホルムアルデヒドが溶けて出てくるということで、陶器や磁器の食器が導入され始めている。

給食用食器が陶器や磁器になると、はじめにアルマイトが使われていた理由とすべて逆になる。安い→高い、軽い→重い、壊れにくい→壊れやすい。はじめの理由は、いったい何だったのだろう?

「 出生率 」

その地域における1年間の出生数をその年の人口で割って、人口1000人について何人生れたかを示すこと。昭和60年に12.0である。死産数を含んだものは、出産率。しかし最近では、この数値よりも、合成特殊出生率(一人の女性が一生の間に産む子供の数の平均)が1.53になったことが話題になる。

これを「しゅっしょうりつ」と読み、礼拝を「らいはい」と読むのはおばんで、「しゅっせいりつ」と読み、「れいはい」と読めばギャルである。

「 少子化 」

終戦後、少産少死の傾向が強まり、「少なく産んでよく育てる」という標語も作られ、少子化が進む。

少死が、少子をもたらすのはわかるが、「産め」だの「産むな」だの、また最近「産め」だのって、笑止(しょうし)千万。

「 情操教育 」

真理、道徳、芸術、宗教などを愛するような知的に養われた高度の感情の発達を誘導する教育。

一般に、ピアノや絵を習わせたり、動植物を飼育栽培させることが情操教育であると考えられているが、いやいやさせていると情操はどんどん壊れていく。

「 小児成人病 」

動脈硬化、糖尿病、高血圧症など、中年から老年にかけて頻発する成人病が、小児にも見られるようになり、そうした病気をさして言う。

最近は、チョコやあんこよりも、酒の肴のようなものが好きな子が多くなったかわりに、いつまでも漫画を読む大人が増えた。

「 初語異変 」

初語とは、赤ちゃんが最初に意味ある単語をしゃべり出して(始語)から、しばらくの間発生する言葉を意味し、従来はウマウマ、ブーブーなど母親から教えられた言葉が圧倒的に多かったが、最近は、テレビなどの影響で子供の初語の種類が変わってきている。

初語とは、乳幼児がどこから1番影響を受けているかをはかる目安である。母親か、父親か、保育者か、テレビか。最近の乳幼児は、泣くときに、「おとうさーん」と呼ぶことが多い。

「 心理劇 」

精神療法に用いられる方法で、役割りを演技することによって、無意識に持っている心理的なコンプレックスや葛藤を表出させ、それを解消したり、自分の相手側を演じることによって相手の立場を理解するのに用いる。

ままごとでおかさん役をやっている我が子が、子供役の子に、「早くしなさい。何をぐずぐずしているの!」なんてどなっているのを聞いて、いつもこんな言い方をしているかとハッとすることがあるのは、まさにこの治療法の原点である。

「 スキンシップ 」

スキン(皮膚)と、シップ(関係)の意味で、肌の触れ合いを強調した言葉である。子供にたいしてのスキンシップは、方法は年代によって異なるが、思春期にはいるまで必要である。欧米では、主に、抱擁、キッスで、日本では添い寝、おんぶが代表であった。

最近の若い人は、恋人同志や夫婦のスキンシップが増えた分、子供とのスキンシップが少なくなってきている。恋人や、夫や妻の情緒を安定させることのほうが、自分にふりかかるという点では必要なのかも……。

「 スリー・アールズ 」

「読み」reading「書き」writing「算」arithmeticの3語に共通して含まれる「r」を取っての略称。ヨーロッパ中世の都市における商業の発展とともに、庶民階級に最低限必要な教育として、これら3つの要素が求められた。日本では、江戸時代「読み」「書き」「そろばん」として、町人の実生活での必要性からこれら3つが求められた。

”スリー・アールズ”は、幼児期に必要ないと思う人がいるが、そんなことはない。子どもは、いたずら「書き」をしたとき、親の顔色を「読み」、どのくらい怒られるか「計算」する必要がある。

「 設定保育 」

保育者が一定の指導目標をもって子供の活動を計画し、設定して行なう保育の方法。

この保育は、保育者の指導意図が優先するものであるのに、保育者自身が優先する保育と思っていることが多い。いわば自己中心保育と思っている人がいる。

「 早期教育 」

発達の遅れをできる限り早期に発見し、早期に適切な指導がされることが望ましいという観点から行なわれる教育のこと。したがって、主として、乳幼児期に様々な経験が与えられることが有効とされる。

必死になって、乳幼児期から早期教育と称して、英語などを教え込もうとしている母親は、我が子に発達の遅れがあると思っているのかも。

「 素材 」

表現活動を行なうために、そのもととなる材料、自然物、文化的遺産、人間の行動や感情などを総括して素材と呼んでいる。

要するに、子供を保育、教育するための素材は、身の回りのもの全てといえる。たとえ、良くない保育者も、良き素材だけにはなりうるのかもしれない。

「 胎教 」

胎児の教育の一つとして行なわれていたもので、妊娠中の母親の行動、精神生活が胎児に影響するとするもの。

はじめに記載されたのは江戸時代の育児書であるという。その頃から、思い込みの部分が多く、胎教の「教」は教育の「教」でなくて宗教の「教」のようである。

「 退行現象 」

防衛規制の一つで、すでにある段階に到達したものが心理的安定を求めてより未発達な段階に逆戻りすること。たとえば、下の子が生れたとたんにおねしょを始めるといった現象。

「冬彦さん現象」は、欲求不満を契機にして起こす病的退行の一例である。

「 体操座り 」

「体育座り」とも言い、お尻を地につけ、ひざを抱える座り方をこのように言う。

いろいろな座り方があるけれど、何のためにそんなにあるのかな。座るのは立っていると疲れるからなのに。

「 脱水症 」

体内水分が欠乏状態になって起こる症状。口渇、精神障害、けいれんなどを伴う。汗を異常にかいたとき、尿が異常に出たとき、下痢をしたとき、水分補給をしないために起こる。

下痢をしたとき、おなかが悪いからといって水分をひかえる親がまだいることを責められない。ついこのあいだまで、そう医者が指示していたのだから。

「 縦割り保育 」

異年齢児保育の項、混合保育、年齢別保育の項参照。

「 単身家庭 」

「ひとり親家庭」といい、母子家庭、父子家庭が典型的である。かつては「欠損家庭」や「片親家庭」とも呼ばれてきた。

残酷のようだけれど子の非行の発生率は、一般家庭に比べ、母子家庭は4倍、父子家庭は9倍、子の自殺の発生率は同じく母子家庭は3倍、父子家庭は9倍、家庭内の児童の虐待の発生率は、同じく母子家庭は13倍、父子家庭は67倍という資料があるらしい。がんばってもらわなければ。

「 団塊の世代 」

昭和21~24年のベビーブームの時代に生まれた世代。人口ピラミッドで見ると、同世代の人数が特に多く、かたまり(団塊)のような形になっているところから名づけられた。

団塊の世代ほどめいりょうではないが、それぞれの時代の若者に、その風俗や行動の特徴をもとにして、いろいろな名前がつけられている。「太陽族」「竹の子族」「クリスタル族」「3語族」「くれない族」「新人類」「プッツン族」…、これらはみんな、子育ての仕方が影響している。今の子どもたちは、どんな名前がつけられる若者になるのだろうか?

「 知育 」

「知育」「徳育」「体育」と称されるアリストテレス以来の伝統的な3分法による教育分野の一つで、知的な面の教育をさす。

知的な面の教育とは、「文字」「数」指導をすることだと思っている人は、知的な人ではない。

「 知識欲 」

遊びという生活を通して、自分自身で積極的に知識を求めていくこと。

この「用語解説」を読む人は、知識欲が旺盛な人であり、「用語解説」が理解できる人は将来が有望な人である。

「 父親学 」

仕事の忙しさから、子どもの心のなかの父親の存在が希薄であることから、様々な問題が生じてきたので、企業における仕事と家庭での夫及び父親の役割を両立させるために企業側から提案されたもの。

園への送り迎えをしたり、子どもの面倒見のいいお父さんを「すてき!」と思う心が、良き父親を育てる(その気にさせる)。

「 通園施設 」

社会福祉事業の形態には、1.収容施設、2.通園施設、3.利用施設の3種類があり、こども園、幼稚園のように家庭から通所する施設を通園施設という。

しだいに保育時間が長くなってきており、家庭のほうが通園施設になりつつあるかも。

「 手足口病 」

1960年代の後半から発生し、70年代になって急速に増えてきた、新顔のウイルス性発疹症。手足に小さな水泡ができ、大半は2、3日で苦痛なく治ってしまう。潜伏期は3日から6日。

伝染病は、ほとんどが分かった時点で、もうほかの子にうつってしまったあとのことが多く、登園停止にするのは、うつす恐れがあるからではなく、欠席にしないからせめてその間だけでも親に看病してもらいたいと思う期間である。

「 手遊び 」

手と手、心と心を通してのコミュニケーションができる豊かな遊びの一つ。手、指の動きやリズムにあわせ、歌いかけ、語りかけが言葉を育み、手指の器用さの獲得も期待できる。

子どもとのコミュニケーションをとる一つの手段であるのに、ひとりよがりでやっていて、子どもはしらけて仕方なく付き合っているといった場面や、単に間をつなぐ手段に使っている光景を見ることが多い。

「 低体温児 」

子どもは、大人よりも新陳代謝が盛んなため、体温が大人よりも高い状態が常識であったが、最近の調査によれば35℃台の子が4人に1人はいるといわれている。理由はまだ不明な部分が多いが、睡眠不足や運動不足、冷暖房が原因であるという説がある。

最初、分からないうちは、なかなか体温が上がらないので、「もっとしっかり体温計を入れていなさい!」とおこってしまうことが多い。

「 伝染病 」

病原体によって引き起こされ、その病原体が個体から個体へと波及していく疾病のこと。小児期に多く、予防のため登園停止をする必要があることから、幼稚園や保育所などにおける対策はきわめて重要である。

昨年の医師会の見解で、「りんご病」や「手足口病」が治って登園するときに、登園許可書はいらないと発表されたが、このニュースはあっという間に、保護者の間に伝染していった。

「 ディリープログラム 」

1日の生活のリズム、生活の流れを言う。日課のこと。

この言葉を口にしたとき、初めて保育者になるのである。

「 デカルコマニー 」

絵の具を塗った紙を2つに折って押し重ねることによって、偶然的な形態の面白さを求める技法。もともとは、紙片に描いた絵、図案などを陶器その他の器物の表面に当てて転写すること。

偶然にできる絵に対し、どんな子にも神は平等に才能を与える。

「 動機づけ 」

行動を方向づけ、その方向にむかってのエネルギーを、放出する過程を言う。この過程は、欲求、動因、誘因の3つの機能で成り立つ。簡単に言えば「やる気」を起こさせることである。

しかられるのがいやでやるのも動機であるが、その結果からは創造的、生産的なものは産まれない。

「 導入 」

何を糸口にして幼児をその活動の目標を理解させ、自発的興味を誘発させるかというきっかけの段階。

導入の方法は、保育者の工夫や創造性が必要である。色々なことを経験している遊び人の保育者ほど導入が上手かもしれない。

「 統合保育 」

障害児を含めての保育という意味。統合保育により、障害児は普通児からの刺激によって発達が促進され、普通児は本当の意味の福祉の心の芽ばえが養われる。

保育のプロであることを他人に示したければ、統合保育を「インテグレーション」といい、障害者を可能な限り普通の人に近い生活を確保させることを「ノーマリゼーション」と横文字を使うことである。

「 ネイチャーゲーム 」

自然の中の一員として人間が存在していることの意味を、ジョゼフ B・コーネルが体系化して刊行した本の題名。これは、自然との付き合い方や遊び方を、青少年向けに著したものである。

この本に書かれている自然との付き合い方を、子どもとの付き合い方に置き換えてみると、参考になることが多い。子どもはもともとナチュラルな生き物なのだから。

「 なぐりがき 」

手や腕の運動のあとのしるしにすぎない線や点が、腕の動きに1つのリズムが生じ、左右前後の往復動作から渦巻きのような円形などへ発展していく表現活動の第1歩。2~2歳半頃を「なぐりがき期」と呼ぶ。

子どもは、いっしょうけんめいに描いているのに、乱暴に描くという意味の「なぐりがき」と呼ぶのは、おとなはわかっていない!

「 喃語 」

ブーブー、アーアーなど特定の意味を持たずコミュニケーションの手段とならない乳児の発声。反復性があり、同じ音声、音節の繰り返しが特徴。

今の漫画のせりふは、ほとんどが喃語である。よく意味が分かるなあ。ゲロゲロ。

「 ナ-サリースクール 」

保育所のこと。しかし、外国では日本とは制度が違うためにその性格から、デイケアーセンターと呼んだり、キンダーガーデンと呼ぶことがある。

ナースというとすぐ「看護婦」と思う人が多いが、「保母」という意味もあるのに…。まだまだがんばらなければ。

「 語文 」

「ママ」「ブーブー」などの名詞の1語文に続き、「ネンネ」「チョウダイ」のような動詞の1語文が表われ、生後16~19ヵ月頃になると、「ママ、ネンネ」「マンマ、チョウダイ」というような2語文発話をするようになる。

「ネエ、チュウシテ」もやはりまだ助詞が入らない2語文である。

「 ニーズ(ド) 」

必要、要求、不足、欠乏などと訳される。福祉ニーズは、社会福祉の援助が必要な状態を言う。

今の子供たちにとっての1番のニーズ(不足しているもの)は施設でもなく、制度でもなく親の愛情かもしれない。

「 二重保育 」

母親の勤務時間が長いために、保育所の終了時間に間に合わず、夕方子どもを保育所に迎えに行く人を頼んだり、個人の家や他の施設に子どもの保育を委託しなければならない状況をいう。

保育時間の拡大と保母の勤務時間の短縮のはざまで、もうすでにほとんどの子どもは二重保育と同じ状況である。

「 日光浴 」

日光が皮膚に当たると血管が拡張し血行が旺盛になり、皮膚の機能をよくする。そして紫外線(UV)がビタミンDを生成し、カルシウムの吸収や骨への沈着を促す。

紫外線の当たりすぎは皮膚がんや白内障の原因。何事もほどほどに。

「 乳児 」

児童福祉法や母子保健法では満1歳に満たないものを乳児という。通常こども園では0、1歳を乳児、2歳以上を幼児と言ったり、2歳以下を乳児、3歳以上を幼児と言ったりする。

実態は、乳児期はどんどん少なくなり(乳を飲まずすぐミルクにしてしまう)、幼児期は長くなっている。(いつまでも幼い)。

「 ぬたくり 」

クレヨンや絵の具などをむやみになすりつけることを言う。幼児の描画の発達段階として必ず通過する時期である。これによって材料の性質や扱い方を探ったり、うっせきしたものをはき出しているとも言われている。

へたな絵や字をかくことも「ぬたくる」という。へたな字を書く人も何かうっせきしているのかな。

「 ねらい 」

幼稚園教育要領では「幼稚園終了までに育つことが期待される心情、意欲、態度など」であり、保育指針では「子供が保育所において安定した生活と充実した活動ができるようにするために保母が行わなければならない事項及び子どもの自発的な、主体的な活動を保母が援助することにより子どもが身につけることが望まれる心情、意欲、態度など」を示したもの。

「幼児に指導することが望ましいもの」という改定前のねらいのように、いまだに子どもをねらい撃ちにしている人がいる。

「 年間カリキュラム 」

「年カリ」とも言い、1年間にわたる指導計画のこと。長期の発展性を考え、子供の姿を予測し保育内容の大筋を明らかにする。

事前に立てる「指導計画(けいかく)」のはずが、途中で立てる「指導経過(けいか)」や、過ぎて立てる「指導結果(けっか)」になってしまうことがある。

「 年齢別保育 」

同じ年令で集団を構成し保育すること。たてわり保育に対応して「よこわり保育」といったりする。対語として、異年齢保育、年齢混合保育、解体保育などがある。

普通、無精者のことを「たてのものをよこにもしない」と言うが、保育界では長い間、「よこ(わり)のものをたて(わり)にしない」無精者が多かった。

「 ノンアタッチメント・ディジーズ 」

スキンシップが少ないと、情緒の発達不全が生じ、表情が乏しくなったり、無気力になったり、逆に攻撃的行動が激しくなったりする。

スキンシップがきわめて少なかった子どもは、初めはかなりスキンシップをいやがるらしい。「いやだいやだも好きのうち」という言葉を思い出してほしい。

「 発育段階 」

受精から死に至るまでの課程をいくつかの時期に分けて、それぞれの特徴を把握する試み。研究者によって、発達をどの側面から眺め、何を発達の本質と考えるかが異なり、多くの説がある。

発達段階を到達目標と思ってしまうこと(例えば、発達段階では12か月で歩き始めるというのを、12か月で歩けるようにしなければならないと思うこと)は、保育者となるための発達段階のひとつなのかもしれない。

「 働きかけ 」

個々の発達や個性に応じて、幼児が望ましい方向に変容していくことを願って、保育者が行う援助。

「働きかけ」をしない保育者は、園で働いていることになるのかな?

「 排泄 」

生き物が代謝によって生じる不要物・有害物などを体外に排除する作用。園では排便と排尿を総称して排泄という。排泄訓練には、水の流し方、紙の使い方、手洗いなども含まれる。

幼稚園や保育所が真に時代のニーズにこたえる施設となるためには、排泄しなければならない古い考え方がある。しかし、これは単に、古いものを排泄すればよいのではなく、不要物や有害物であるかどうかを、子どもの視点で検討する必要がある。

「 パネルシアター 」

パネルをはったボードに、不織布にかかれた絵をはって演じる舞台。昔はフラネルグラフと言い、寝るのボードにネルをはった。最近では、蛍光塗料でかいた絵を黒いボードにはり、暗いところで、光をあてて演じるナイトシアターも行われる。

パネルのボードは単なる板でなく舞台(シアター)であるはずなのに、絵がちっとも舞わないで、紙芝居のようになってしまうことが多いようだ。

「 病児保育 」

保育所では健康な乳幼児を保育するのが原則であるが、病気になった子どもでも、保護者が仕事を休めなかったり、保育に当たれない場合に保育すること。

子どもは仕事が忙しいときに限って、医者が休みの日に限って、どこかに出かける予定のある日に限って、よく病気になってしまうものである。親たちがどのくらい自分のことを大事に思っているのか、試しているのかな?

「 ピーターパンシンドローム 」

ピーターパンは、夢の国で遊ぶ永遠の少年である。1970年代後半からアメリカで、大人の仲間入りできない男性が大量に出現し始めた。こうした男性たちが表す心の症候群のことをこのように呼ぶ。

家庭の不安定、教育・しつけの機能低下などが、要因であると言われている。家庭がこんな状態のとき、子どもっぽくなるのは男性で、早く大人っぽくなるのは女性である。

「 表出 」

心の中の感情や思いなど、内面的なものを意図的に外面化することを”表出”と呼ぶ。 乳児が機嫌が悪いときに泣くのは表出であるのに、表現(わざと泣いてみせている)と思うところから幼児虐待が始まる。

「 父親不在 」

子どもを社会化するのが父親の役割といわれているが、母子のような密着した関係をもちたがる父親が増えている。それによって、父親の精神的不在を招き、子離れ、親離れできない母子癒着や、家庭内暴力の誘因になっている。

今は、子どもを社会化するのは母親であり、父親に精神的支えを求めない場合が多い。父性は不在どころか、父性不要と思っている家庭が増えている。

「 フロッタージュ 」

木材や石に紙をあてて、木炭や鉛筆でその木目や地肌をこすり出すもの。

子どものころよくやった、鉛筆でお金をこすり出す遊びが、こんなモダンな名前だとは知らなかった。

「 偏食 」

ある特定の食品を嫌って食べない状態や、ある食品を好んで、それがないと食事が進まない状態をいう。

子どもをもつ前は、「子どもが偏食になるのは、親の偏食に原因があることが多い」という説を信じたが、もってからは、そんな説は信じられなくなった。

「 ベビースイミング 」

家庭にプールがあるのがさして珍しくないアメリカ合衆国のような国、またオランダのように運河の多いところで、水の事故を防ぐ意図で始められたもの。

家庭にプールもなく、運河もない日本に取り入れられて、早期教育的に理論化されたところはいかにも日本らしい。また、日本の水の事故は、浮いてたり、泳げたりしてもあまり意味のないようなところ(水槽、洗濯機、浴槽…)が多いので、その対応も考えてほしい。

「 ベビーホテル 」

昭和40年代になって、ホテル内に、主としてホテル施設利用者の便宜を図るために、乳幼児を一時的に預かり、保育する目的で作られたもの。55年に厚生省は「1:24時間預かっている。2:夜間保育を行っている。3:時間単位の一時預かりをしている、のいずれかに該当する施設」と定義したが、必ずしも正確ではない。

ペットだってホテルがあるのだから、あたりまえといえばあたりまえなのかも。だけど、ベビーもいよいよペットか。

「 保育ママ 」

民間の有志家庭で、少数(3~5人)の乳幼児を預かる一定の条件を持った女性。この制度は地方自治体によって名称が違う。日本では家庭福祉員、家庭委託所、家庭保育、民間里親など。イギリスでは、チャイルド・マンダー、アメリカでは、フォスター・デイ・ケア、北欧ではファミリー・デイ・ナースリーなどと呼ばれる。

何で最初に保育母と言わなかったのだろう。”ママ”より”母”のほうが、包容力たっぷりの響きがあるのに。

「 保父 」

保育の仕事をする希望する男性が現れ始めたのは、昭和40年代後半のこと。昭和52年、児童福祉法の改定により、法的に男性保育者が認められると、その数は急激に増加した。だが、保母総数に対する男性の割合は、0.36%に過ぎないのが現状である。

保父の資格を、今だに”保母資格”といい、”児童福祉施設で働く女子”と定義されている。

「 ほふく室 」

乳児が自由に入って、動き回れるスペースのこと。2歳未満児を入所させる保育所では、児童福祉施設の最低基準に、その設置が定められている。

ほふく室は知っていても、ほふくの意味(腹ばいになること、手と足を使ってはい進むこと)は、死語の世界になりつつある。

「 母原病 」

母親の育て方が原因で、子どもの心身形成にひずみが出てくる文明病のこと。従来の方法では、治療の難しいものが多い。

育て方に原因があることに、ほとんど育てて終わってから気づくことが多い。

「 マーブリング 」

水面に絵の具を浮かし、紙に写し取る方法。墨汁を使うと同心円の状の年輪のような模様ができ、油性絵の具では大理石のような模様ができる。

マーブルとは、チョコレートのことでも、アイスクリームのことでも、ケーキのことでもなく、大理石のことである。

「 マザーリング 」

母親による母親らしい世話のこと。「母親による愛撫」という意味がある。

20世紀初頭、マザーリングの手法を加えることによって、乳幼院における乳児の死亡率が15年間で、78・5%から17・3%に下がったらしい。今でもこれほど効果があるのだろうか?だって、これを与える母親が変わり、これを受ける子どもが変わってきたのだから。

「 マターナル・デプリケーション 」

何らかの理由により、母親もしくはそれにかわるべき人から離され、人手の少ない、温かさに欠ける施設で育てられた子どもや、愛情の欠如・放任・敵意によって、適切な教育が受けられなかった子どもがパーソナリティーや知的発達の遅れを生じること。

「悪しき家庭といえども、よき施設に勝る」と言われた時代から「よき施設は悪しき家庭に勝る」と言われるようになったのは、喜ばしいことなのか、それとも嘆かわしいことなのか?

「 未熟児 」

臓器機能が未発達で、胎外の生活に適応できる成熟度がない出生児のこと。古くは、出生体重2500g未満の出生児をさした。現在は、1500g未満を極小未熟児、1000g未満を超未熟児と呼んでおり、1500g以上なら未熟児という言葉は使われなくなった(1500~2500gの出生児は低出生体重児、または低体重新生児と呼ばれる)。

超未熟児も、冷たくしないで保温器で大切に育てられればりっぱに育つように未熟な保育者も大切に育てなければ。

「 無許可保育施設 」

幼稚園・こども園はともに、一定基準の施設・設備・保育内容・職員組織を備え、それぞれの許可権者によって許可を受けるようになっている。こうした許可を受けないで、幼稚園、こども園と同様の業務を行う施設をこう呼ぶ。

一定の基準(許可基準)が、園の独自性とかユニークさを制限するものであれば、無許可の施設のほうが一般住民のニーズに堪えるという点で許可施設になりかねない。

「 モラトリアム 」

もともと国家の債務の支払猶予、支払い延期をさす。心理学では、人間が成長してなお、社会的義務の遂行を猶予される期間をいう。「モラトリアム人間」という言葉は、昭和46年小此木啓吾氏が作った造語であり、モラトリアム状態を楽しんでいて、いつまでも大人になろうとしない青年期延長型の人間を意味する。

いつも研究するのは大人世代なので、不名誉な名前をつけられるのは、若者になることが多い。

「 沐浴 」

髪を洗い、体を洗うこと。こども園には、新陳代謝の激しい乳幼児のために沐浴室が備えられている。

保育用語には「沐浴」「排泄」「ほふく」など、日常語にはない、使い慣れない言葉が多い。もっと若い人に受け入れられるような、トレンディーな呼び方にかえたほうがよいのでは。

「 模倣遊び 」

子どもが他の人のやっていることを見てそれをまねするあぞび。あそんでいるうちに、さまざまなことを学習していく。古くからの「ままごと」が典型的な例。

まねをする対象は、年長者や大人である。その中で最も影響を与えるのは、親と保育者であることはわかっているが、まねされてよいと、自信をもって言える人はどれだけいるだろう?子どもにとって、反面教師などという言い訳はきかないのだから・・・・

「 文字指導 」

幼児期の文字指導には「文字指導否定論」「自発性重視論」「遊興性重視論」「系統性重視論」「早期才能開発論」などのさまざまな考え方がある。

幼児期の文字指導は基本的に反対だが、子どもが自発的に興味をもってきたので、あそびの中に取り入れ、系統だてて指導するうちに早期才能が開発されていった場合は、どの理論に属するのだろう。生きている子どもの行動を、一つの理論の中に入れるのはなかなか困難である。

「 夜間保育 」

女性の就労形態の多様化に伴い、1991年に厚生省によって制度化された保育事業の一つ。保育時間はおおよそ午後10時までの、約8時間とされている。

夜間保育を行うことによって、保母の就労形態が多様化した。それに伴って、次に制度化されるのはどんな保育事業かな?

「 夜尿症 」

夜間の睡眠中に排尿して、下着や寝具をぬらすこと(夜尿)が、排尿を統制できる年齢に達していても見られる場合、こう言う。

さまざまなことが言われるが、いちばんの原因は「夢」のせいであることを、経験者はよく知っているはずである。

「 有意語 」

喃語から生じる、一定状況のもと、一定の発音で出現する「マンマ」や「ワンワン」など、意味をもつ言葉。

「ネンネ」「オテテ」「ダッコ」「タッチ」「アンヨ」など、有意語は全国共通語が多いのは、どうしてなのだろう。

「 遊技療法 」

普通は、子どもに対して適用される、遊びを通じて行う心理療法のこと。

塾などに追われてあそびを知らない子どもに対して、はたしてこの療法が通じるであろうか?

「 誘導保育 」

倉橋惣三が唱えた保育療法。「子どもが断片的に生活していくことは、それぞれとしてはよろしいが、その断片性にあるいは中心を与え、あるいは系統をつけさせてやること」と、述べている。

誘導とは、教育(教え込む)ではなく、エデュケーション(引き出す)である。ということで、日本の発想ではなかなか難しい方法である。

「 指遊び 」

幼児の歌あそびの一つで、指や手で事象を表現するあそび。代表的なものに「むすんでひらいて」「しゃくとりむし」などがある。リズミカルな表現や創造力を豊かにし、指を使うことで脳の刺激を促す。

パチンコなど、大人の指あそびもかなりあるが、創造力が豊かになるかはわからない。脳の刺激で、ぼけの防止にだけはなるかも。

「 指しゃぶり 」

吸うことだけが唯一の摂取手段である乳児が、哺乳だけで満足しないとき、その代償として指を吸うようになるという考えもある。

ガムをかんだりタバコを吸ったりするのは、指しゃぶりや爪かみの代償という説がある。タバコがやめられない人は、指しゃぶりをやめられない子の気持ちがわかるだろうな。

「 幼児学校 」

イギリスのオーエンが、労働者の家庭の哺乳児の集団保育の意義を強調し、創設した施設。保育所の前進といわれている。フレーベルが”幼稚園の父”と呼ばれるのに対しオーエンは”保育所の父”と呼ばれている。

オーエン(の施設)は、親が働いているあいだ、その乳幼児を集団で保育した点で保育所の源流といえる。しかし、人間の性格形成の可能性を信じ、あくまでも子どのための保育施設であったという点では、必ずしも、子どものためだけとは言えない、今の保育所の源流ではないのかもしれない。

「 幼稚園 」

幼稚園について、学校教育法醍77条では次のように定められいる。「幼児を保育し適当な環境を与えて、その心身の発達を助長することを目的とする」。

幼稚園の創始者フレーベルは、初めて有能な母親を育てるための訓練所を作った。幼稚園は、単にそのための実習場にすぎなかった。もう一度、母親の訓練場としての機能が要求されている。

「 幼稚園教育要領 」

1956年3月に施行。1964年と1989年に改定され、文部省告示として出された幼稚園教育課程編成のための基準。法的拘束力をもつ。

こども園に対する「保育指針」は、法的拘束力がない。「保育指針」の場合は、できれば実践してほしいだけなのかな。

「 幼年童話 」

幼年期の子どもを対象に書かれた散文の文学作品の総称で、1960年以降、用語として定着した。

映像文化の影響なのか、幼年童話と絵本の区別がなくなってきているようだ。文字よりも絵、散文よりもマンガという大人社会を見ればしかたがないか。

「 幼保一元化 」

小学校に入学する前の幼児が、幼稚園とこども園に分かれて保育を受けていることに対し、これを改めるべきであるという主張。1947年、両者は機能と目的を異にするものとして2次元的に制度化された。

こども園の人は、同じ市域内の幼稚園の数を知っていますか?幼稚園の人は、同じ地域内のこども園の数を知っていますか?管轄が違うのは、役所ではなく、お互いの認識かもしれない。

「 読み聞かせ 」

子どもに本を読み聞かせるという行為。昔から子育ての中で行われていたが、急速に普及したのは、親子読書運動などのマスコミ文化の氾濫に対する子どものための市民文化運動の一つとして、1960年以降である。

この意義のひとつに、自分の好きな大人と一緒に本の世界を共有し、ともに楽しむことができ、心が安定し、人間関係の深まりを経験できることであるが、嫌いな大人が読み聞かせても意味がないようだ。園などで読み聞かせる場合、まず、子どもに好かれなければ。

ら・わ
「 ランドルト環 」

視力検査のときに用いられる形状。輪の切れているところを指示する。直径7.5ミリの輪の中にある、切れ目1.5ミリを5メートル離れて指示できれば、視力は1.0となる。視力の数値は、この輪の大きさに反比例し小数で示される。

近視になる子がどんどん低年齢化し、自覚検査が不可能な年齢にまで下がってきている。そうした年齢に対しては、どう検査したらいいのだろう。

「 リトミック 」

スイスの作曲家ダルクローズによって草案された音楽教育のための方法。それが、幼児の感受性や表現力を発達させ、個性を養うという点で児童教育に取り入れられた。

リトミック(フランス語)というと、専門用語のようだが、英語に直すとリズミック、もしくはリズミカルとなる。とたんにあたりまえの言葉になるかわりに、意味は鮮明にわかってくる。

「 離乳 」

乳汁だけで栄養を得ていた乳児にいろいろな半固形食を与え、しだいにその硬さや量、種類をまして、固形食に到達させることをいう。この時期が離乳期であり、この過程において与えられる半固形食が離乳食である。

乳児期の離乳食にインスタント食品を使って手を抜くと、大人になって断乳(母乳をやめること)はできても、精神的離乳(乳離れ)のできない場合が多いのでは。

「 領域 」

関係の及ぶ範囲のこと。乳児に期待される育ちの側面。健康・人間関係・環境・言葉・表現の5つの領域が「幼稚園教育要領」「保育指針」に設定されている。

この「領域」が「教科」にかわり、1時間目は健康、2時間目は表現…などと、学校のようにならないように。

「 ロールシャッハテスト 」

スイスの精神科医ロールシャッハが創案した性格テストで、左右対称系のインクの染みの図版10枚を見せて、連想するものを言わせるもの。どのように見えたかをチェックし、総合的に被験者の特徴を診断する。

ロールシャッハは画家の家に生まれ、スイスの子供たちの間で古くから行われていた「インクのしみあそび」に、子どものころ熱中していたらしい。子どものころの体験が、多くの人を救うためにいかに大切であるかがわかる。

「 わらべうた 」

現在では、一般的に自然発生した伝承的な子どもの遊戯歌のことをさし、新しく専門家によって作られたものは童謡と呼ばれる。わらべうたは子どもの生活に密着した歌である。生活が変われば歌の内容も変わり、遊び型が変われば歌い方も変わって、新しい歌が生まれる。

現在の子どもの生活や遊びには、CMソングやアニメソングが身近なものとして取り入れられている。こうした環境の中で、子どもの歌の概念も大きく変わりつつある。

人物
「 オーエン(1771~1858) 」

イギリスの社会主義運動の開拓者。紡績工場を経営していたが、1816年、その労働者の子弟の福祉と教育のために「性格形成新学院」と、その一部として「幼児学校」を開設。生育や環境が悪いと正しい性格を欠くことになるので、経済的、社会的および教育的な環境を改善することを要するとした。

彼の幼児学校の教師には、もと職工のブキャナンと、もと紡績女工のヤングがあたった。ブキャナンはその後、ロンドンの幼児学校で20年間校長を勤め、「生来子ども好き」「子どものように純粋かつ無邪気」とたたえられた。教師とは、学歴や保育技術ではなく、そういうものなのだろう。

「 倉橋惣三(1882~1956) 」

幼児が自ら生活できるようにする、子ども中心の保育を唱えた。その具体例として「誘導保育論」「誘導カリキュラム論」を体系化している。これらは、幼児の生活はあそびにあるとし、その生活が発展するように誘導することを主眼にしたものである。

彼は、「急速な社会、経済の進展により家庭教育機能が低下してきたので幼稚園が家庭教育を補充する使命として、保育時間の延長と児童相談所的な役割をもつこと」が必要であると、すでに昭和初期に提唱している。彼の提唱は、平成の今になってまた注目されている。

「 クループスカヤ(1869~1939)」

ロシアの教育家。社会主義社会の建設過程で、実践を通して理論が深められ、確立された「集団主義保育」を提唱。また、その内容で具体的なあり方(大人が干渉しないあそび、理想的ながん具と児童図書、芸術教育のあり方、体罰の否定)を示した。

レーニンと流刑地で結婚し、彼と革命運動をした彼女は、革命で社会を変えることはできても、大人の干渉や体罰で子どもは変えられないと思ったらしい。教育は、革命以上に難しいものなのかもしれない。

「 フレーベル(1782~1852)」

ドイツの教育思想家、教育実践家。また幼稚園と保母養成所の創始者でもある。1839年に「遊戯および作業教育所」を開設。翌年、「一般ドイツ幼稚園」と改めた。幼稚園を庭に、幼児を若い植物、植物の世話をする園丁(庭師)を教師や母に例えた。

今で言う「フリーター」のように、若いころ学校や職を転々とした彼は、そのことでかえって自由主義やロマンティックな革新的気風を形作ったといわれる。子どもがいろいろなことをやろうとすることは、案外、将来とても役立つことの基礎を身につけているのかもしれない。

「 ペスタロッチ(1746~1827)」

スイスの世界的教育思想家。神があらゆる子どもに等しく与えた諸能力を、子ども本来のしぜんな歩みにしたがって発達させることを目ざした。そして、どの社会階層の子どもにも、このしぜんな発達を可能にし、社会変革の主体として育成するために、子どもの感覚や生活環境の中での直接経験(直観教育)を重んじた。

ドイツのフレーベルは彼に師事し、イギリスのオーエンは彼を訪ねて、その帰国後に彼の主義による教育を採用した。また、日本の倉橋惣三も彼の教育思想を吸収している。彼の思想は、あっという間に全世界に広がっていった。

「 モンテッソーリ 」

イタリア初の女性医学博士。1906年スラム改良事業で「子どもの家」を創設。精神発達のうえから幼児期を重視し、子ども本来の自発的生命力と敏感な吸収力を生かした。心身のしぜんで、正常な発達による自立に向けての自由を与えようとした。

イタリアの1,000リラ(110円くらい)の表に彼女の肖像が使われている(裏は子どもが学習している絵)ので、イタリアに旅行したときの保育関係者へのおみやげは、手ごろな値段と格調の高さからこの紙幣に限る。

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